太陽の周りに虹

日本橋を出航する小さな遊覧船の船長をしていまして
天気の良い日も、曇りがちの日も船で航走していますから
同じ場所の同じような風景も見るたびに変化をしています

ただ、太陽が表情を変えるという事は滅多にないのですが
先週、隅田川を航行していて見上げると
太陽の周りに虹を見る機会がありました

過去にも数回見た事はあります
目の保護で陽の強さでサングラスになる眼鏡をしてましたが
最初はそれのせいかと思って、外してみても
目の悪い私にも薄っすら見えました

せっかくなのでスマホで写真を撮ってみました

空に少し靄がかかっている感じで
太陽から少し距離をとって虹の輪っかがかかっています
スマホの写真ですと、ちょっと分かりにくいですが
薄く見えますね

厄年の後 その2

この一連の日記の締めになるようなお話しです

今年に入って2月3日
6年ぶりにカナダの親友がやってきました

江の島、観音崎、スカイツリー、高尾山など
時間が空いている時は、いろんな所に出かけました
弟のお墓参りもしました

思い出はお金では買う事はできません

もちろんお金は大切ですよ
何か目的を達成する為の手段にもなりますし
何か仕事をしたならば
その報酬はしっかり頂かなくてはいけませんね

ただ……記憶の中に積み重なっていくような
出会いや体験というのはお金には代えられない
値段の付けようもないほど貴重なものです

3月8日その友人が帰る時に羽田空港まで送りに行きました
ゲートに入る前に食事したりお茶したりしたのですが
こんな話をしました

「人が死ぬ間際で見る風景って世界共通だよね」
臨死体験をした人はお花畑を歩いたり、川を渡ったり
そういう経験をすると聞きます

「でもその川を渡る時の船って小さいでしょ……
あまりモノを持っていかれないよね」
「そうだね、生きている間どんなに稼いでも何かを買っても
お金も何もかにも全部置いていかないといけないね」
こんな話をしていました

何を持っていかれると思いますか?
出会いや体験などの思い出になるもの
自分の心、魂が持っていかれるものだけですね

彼が帰った後もいろいろ考えたりもしました
ここ数年、身近に亡くなる方が多かったですが
私が別に不幸の神様やってた訳じゃないと思います

もうじき人生を終えようとする人が近付いてきて
私はそういう人達が利用する
渡し船の船頭さんみたいなモノだったのかなぁ……
そんな記憶は無いですよ
でも、そういうふうに感じたりもします

もし私がその渡し船の船頭さんなら
「私と出会わなければ良い人」というのは明らかです

人生の中で手に入れてきた、所有してきたと思い込んで
それらを決して手放さないような強情な人でしょうね
所有欲が強い意地汚ない人間ですね
安全に対岸に渡る事無く船が沈没してしまいます

厄年の後 その1

2016年の元旦は初日の出を見に行きました
こちらのブログにも書いています
新しい車でドライブするのは楽しいものです

後で知ったのですが前の軽自動車の
購入時や定期点検などの担当して頂いた方が
12月に病気で既に亡くなっていました

また、新しく車の買い替えの際に
いろいろとオプションを付けたり親切にしてくれた
中古車屋さんの社長さんが、詳しい日にちは知りませんが
春に事故で亡くなったそうです

2016年は身の回りで不幸な事が重なりました

弟の三回忌の辺りで
子供の頃は家族ぐるみ仲良くしていた父の知り合い
それから叔父さんも亡くなりました

また仕事関係の方でも2人、高齢だったこともありますが
春と2016年の暮れに亡くなっています

こうして振り返ると
会社設立にはじまり厄年を跨いで数年ですが
私自身、身近な人を失ったり
言葉では現しにくい気持ちを経験しました

厄年に(後厄)

2015年は、いろいろと変わり目の時期でした

5月に、みづはの船長を辞めました
理由は本当につまらない事です

3月、あるテレビ番組でみづはを使った撮影があり
早朝から撮影が始まる為にビジネスホテル前泊までしたのですが
実際に放送された番組の中では
別の方が船長さんとして紹介されました

自分の中でも辞めるベストなタイミングが来たと感じました
ご夫婦で運航している船としてなら、みづはらしいですが
他の人に操船を任せているのでは、しっくりきませんね

過去の日記を振り返ると分かりますが、この年は
ポートチャビーズとして橋梁調査の仕事を引き受けたりなど
新しい出来事もありました

この年の12月には中古ですが車も買い替えています

2015年で後厄も終わりました
自分の周りで怪我や病気、不幸があったりすると
「厄落とし」なんて言われたりしますが
私の場合ちょっと違うのかもしれません

厄年に(本厄)

2014年は良い年ではなかったです

前年の13年12月に軽自動車を中古で買い
実際に店舗に引き取りに行ったのは1月でした
車のおかげで私にとって横浜での仕事がし易くなりました

15年以上前ですがちょっと交通事故を起こしてしまい
免許取り消しの寸前まで行ってしまったので
それ以来、車には乗っていませんでした

1月3日の早朝、父に頼まれ
父と弟と警戒船の時以来久しぶりに一緒に仕事をしました
ミュージシャンのPVの撮影だったのですが
朝が早い事もあったので、前の晩から弟の家に泊まりました

その時に弟は仕事で悩んでいるようで
話を聞くぐらいだったのですが……相談に乗りました

弟には理解し難いことだったかもしれませんが
こうアドバイスしました
「この世界に自分のモノと言えるモノは何一つないんだよ」
何一つ無い、自分が所有していると思い込んでいるモノ全て
購入した車も、建てた家も、自分の妻も子供も恋人も
何もかも全て

弟は青ざめたような顔で
「そんな訳ないじゃん」と声を荒げたのを覚えています

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経済的に裕福で持ち家があって有能な妻や子供がいて
才能、能力に恵まれて仕事としても実績を積み重ねている
こうした満たされた立場にいる人からすると
「それは、持たざる者の妬みだよ」と言うのかもしれません

それでも更に加えて言うなら
「自分の健康や命でさえも自分のモノではありません」

例えば「自分の命でさえ自分の自由にはできない」と言われ
「いや!そんな事はない、それを証明してやる!」と言って
自分で自分の命を絶ってしまう人なんているんでしょうかね?

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更新講習を始めて間もない頃は
父や弟、叔父さん等、身内や知り合いにも来てもらいました
基本的にUYフラッグにて免許取得されたお客さんを中心に
知り合いばかりでなく多くの方の免許を更新を行っています

2014年4月に弟は亡くなりました
亡くなる数日前に弟に頼まれていた新免許は
告別式の時に弟の棺の中へ入れました

しばらくは悲しみと同時に怒りも感じていました
20代の頃までは、見返りなんて一切求めず
時間や労力を割いて弟が困っている時は必ず助けました

そんな人はあまりいないですよね
だいたい、その人との関係性や自分の生活
将来や損得を天秤にかけて、手を貸すか否かを判断しますね
弟に関しては駆け引きの思考などありませんでした

でも弟が何かをしてくれた事はなかったんですよ
何かしてくれても必ず条件がありました

私は意識高い系ビジネス用語みたいなのは大嫌いなのですが
「Give & Take」「Win-Win」という言葉に嫌悪感を覚えます
多くの人が毛嫌いするように
実は私もそういう類の人間が嫌いだったりします

その年の春、管理者が不足で講習会を一度中断しましたが
オフ会で直接お会いして講習に興味を持っていただいた方や
みづはのオーナーさんご夫婦にも資格を取って頂き
なんとか続ける事はできました

秋にみづはの乗合運航の為に日本橋へ向かう途中
水の上に浮かんでいる人らしきものを見つけました
小型船舶の仕事を始めて17年目で初めて
亡くなった方を水上で発見しました

急いで船内で仕事をしていたオーナーさんに伝えて船を接近させ
私はボートフックで手繰り寄せ、オーナーさんが警察へ連絡しました
発見した時の状況と残そうと思い写真を撮っておきました
普通はカメラで亡くなった人を撮影なんてしませんよね

でも第一発見者としては
後々警察で聞かれた時の事を考えて撮っておくべきです
気持ちが動転していると、どのような状況だったのか
どのようなカッコをしていたのか忘れてしまいます

過去の状況というのは脳内で加工されてしまいますから……
今でもその画像ファイルはPCの中に残っています

後でいろんな方から、こんな感じの事を言われました
「それは悪いことじゃなくて、あなたが見つけたのは良かった」
私も悪いことのようには捉えていません

人と人との繋がりはいろいろで
良い人もいれば、そうでない人も……
生きている人もいれば、そうでない人も……
私と出会って良い人もいれば……

ふと、私と出会わなければ良い人というのはいるのだろうか?
そして「私と出会わなければ良い人と言うのは、どんな人だろう」
と思いますね

厄年に(前厄)

今月はちょっとした節目で私も気が付いた事がありましたので
書き残しておきます

ポートチャビーズを始めるきっかけになった話も含んでいて
個人的な事も多いですが記憶が前後している事もあり
見直しながら書いています

2011年は地震があった年で
カナダ人の親友が帰った2日後にあの東日本大震災がやってきました

ニュースなどでも、まるで「空爆でも受けたのか?」と思えるような
燃える街などが映し出されて、私にとってもショックで
しばらく何もやる気を失っていました

ですが、弟が知り合いとお弁当屋さんを始めたと知って
私もなんだかやる気が戻ってきて
「このまま会社勤めをする人生かな……」
という気持ちにも変化が訪れました

次の年の2012年の後半は既に試験にはパスしていたもの
登録をしていなかった海事代理士として登録して(11月)仕事を始め
登録更新講習ができるように会社も作りました(12月)
それも2013年からは私の厄年が始まるにもかかわらず……

それから奇妙な事が起こり始めました
後厄、またはそれ以降も続いていたりします

2013年春の段階で登録は何とか済んだのですが
事務規定などの精査に時間がかかり
なかなか講習は始められなかったのです

ですが、ホームページ作りは頑張りました
私はPCでイラストが上手く描けませんでしたから
ネットで知り合った北海道の方にお願いをしました

今でもトップページに登場するネコちゃん達です

父の会社だったUYフラッグでも遊覧船を出しています
当時、遊覧船のみづはの船長さんを始めたばかりで
そのイラストレーターさんとの話題の中で
「『ARIA』(アニメ)に出てくるような会社が作れたらいいね」
という言葉も頂きました

面白いのが……
そのアニメに登場する会社の社長さんが白いデブネコです
ウチの会社のホームページのネコ達の中心にいるのは
白いデブネコですよね

実はそのアニメを知る前に私が思い付いて
トラネコちゃん達と併せて元絵を鉛筆で描いて
画像ファイルにしてイラストレーターさんに渡し
デジタルで描いて頂くようにお願いしていたんです

「ポートチャビーズって何?」

よく聞かれる会社名についてもお話ししますと
ポート〇〇というのは英語で港の名前に使われたりしますが
チャビーズというのは?……「丸々太った」チャビーから来てます
そうですね~デブネコ達がワイワイ楽しく仕事するような会社ですね!

ですが現実のポートチャビーズの始まりというのは
明るい起業とは違うものでした

当時の運輸局の担当者を責めるわけではありませんが……
講習を始められると連絡があったのは2013年9月26日
実はその2日前にトップページの3匹を描いてくれた
北海道のイラストレーターさんは亡くなってしまいました
会社として講習が始められるとお伝えする事はできませんでした